冬の日のダイヤモンド
昔、東京で暮らしていた頃のことです。
私は東京の冬が嫌いではありません。
沖縄と違って晴れる日が多いからです。
ある冬の朝、その頃住んでいたアパートの二階の窓を開け、
窓辺に腕を置いてあごを乗せ、昇ったばかりの朝日を見ていました。
まぶしさに目を細めると、ほぼ水平に太陽の光が虹の七色に輝きながら射してきます。
光の先を追ってくると虹色の光線がどんどんのびて、
私の目元まで途切れることなく一直線に飛び込んできます。
そして下まぶたの縁でクラッシュして、
虹色の数十個ものダイヤモンドとなって砕け散ったのです。
それは、日曜の朝に起きた小さな奇跡でした。
別の朝、私鉄沿線の人もまばらな屋根もない小さなプラットホームでのこと。
線路の囲いの鉄線の上で、夕べの雪が朝の光に溶け、
白いダイヤモンドの粒となって強く輝いていたことがありました。
その光の粒は、私にはどんな本物のダイヤよりも美しく見えました。
朝の澄み切って張りつめた冬の空気の中で、
冷たく清らかな光を放っていたその宝石(いし)を、
私はそっと心の宝石箱にしまいました。
実際にはバロック真珠以上のたいした宝石は何も持っていなくても、
私の心の宝箱にはこんな素敵な宝石たちがいくつも入っているのです。
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