朝早く、近くの公園にウォーキングに出かけたときのことです。
ストレッチをした後、ベンチに座って休んでいると、
木々の上から太陽の光が差し込み始め、 足元の草がダイヤモンドのように、
赤や黄、緑やオレンジや白などの光を放ちだしたのです。
それを見ていて、宮澤賢治の「十力(じゅうりき)の金剛石」という童話を思い出しました。
それはある霧の深い朝、主人公の王子が友達の少年と一緒に、
虹の足元にあるというルビーの絵の具皿を求めて、森の中に入っていく物語です。
虹を追いかけているうちに、二人は不思議な世界へ迷い込みます。
そこでは、二人の帽子飾りのハチドリも自由に飛びまわり、人の言葉を話しだすのです。
降る雨は、トパーズ、サファイヤ、ダイヤモンドなど色とりどりの宝石となって落ちてきて、
ぶつかり合っては小さな虹を上げるのです。
草も花も美しく輝く宝石でできていて、目も綾な光の虹に彩られています。
そこは、すべてが宝石でできた素晴らしい光の丘でした。
けれど何故か、光の丘の住人たちは心満たされぬ思いでいるようで、
十力の金剛石という貴重な宝石が下るのを、焦がれるように待ちわびています。
悲しみにくれて彼らは叫びます。
『十力の金剛石はけふも来ず
めぐみの宝石(いし)はけふも降らず、
十力の宝石の落ちざれば、
光の丘もまっくろのよる。』
・・・・そしてやっとその宝石が光の丘に下ったとき、世界は一変します。
草はみずみずしくたおやかな本当の草になり、
花は、柔らかな花びらと香りを持った本当の花に変わります。
十力の金剛石とは、すべての生命を内側から輝かせる露だったのです・・・・。
そして、青い空、輝く太陽、ふきわたる風、かぐわしい花、柔らかな草、
涙に輝く瞳・・・・ありとあらゆるものが十力の金剛石だったのです。
こうして二人は、草が草であり、花が花であるあたりまえの世界に戻ってきます。
けれど、そこはもう前と同じ世界ではありません。
ありのままの世界そのものが、
何ものにもかえがたい本当の美しさと貴さに満ちている・・・・。
そのことを知った二人は、
ひざまずいて感謝の祈りをささげた後、静かに丘を下っていくのです。
・・・・私にとって賢治の童話は、
極楽浄土をこの世につなぐ、美しい虹の橋のように思われます。
★「十力の金剛石」 新集宮澤賢治全集 筑摩書房刊