レインボー・チェイサー・・・・ 虹追い人。
英語では、どこまで行っても捕まえられない虹を追いかける人、
の意から転じて、夢ばかり追いかけて現実から遊離した地に足の着かない人、
という意味に使われるようです。
けれど私は素直に、夢を追い続ける人と解釈しています。
私の中のレインボー・チェイサーとは、南総里見八犬伝の如く、
我が敬愛してやまない宮澤賢治の魂を宿して、
戦後の日本列島各地に生まれてきた人達のことをいいます。
もちろん私だけの独断と偏愛で決めたものです。
一人目はすでに書いた「アタゴオル物語」の、ますむらひろしです。
二人目には沖縄出身の画家、幸地学のことを書いてみたいと思います。
彼のことは、1996年に米国グラミー賞公式アーティストに選ばれ、
そのポスターやチケットを手がけた画家として、ご存知の方もおられると思います。
私が彼の作品を初めて見たのは、20年くらい前、牧志の三越で開かれた彼の個展でした。
そこで、私はとても奇妙な体験をしました。
ある作品の前で、私はあやうく踊り出しそうになったのです。
絵から、音楽が聞こえてくるのです!
アフリカ音楽でもない、沖縄音楽でもない、
二つの間にあるような不思議な音とリズムが、私の身体を勝手に衝き動かすのです!
このような体験は生まれて初めてでした。
会場の人目をはばかって、私は自分の身体が動き出さないよう、
必死で我が身をかき抱いたまま、その絵の前に立ち尽くしていました。
その何年か後、彼が描いたグラミー賞のポスターの絵を見る機会がありました。
その絵は、描かれたモチーフのエッジから、不思議な光が放たれていました。
細かくさざ波のように震える、光の波動が見えるのです。
描かれてもいないものが見える?
まさかそんな、と思って目をこらしても、やっぱり見えるのです!
色々な絵をこれまで見てきましたが、こんなことは初めてです。
こんなのが意図的に描けるとは思えません。
幸地学はやっぱり天才だ!、と確信しました。
聞くところによると、人間には元来、共感覚(通常の感覚と同時に、
異なる種類の知覚を感じる特殊能力)というのが備わっているそうで、
人によっては文字に色が見えたり、音に色が着いて見えたりすることがあるそうです。
共感覚は、まだまだ解明されていない分野のようですので、
私の経験したような、色が音に聞こえるといったこともあるかもしれません。
彼の絵には、私の中に眠るそういう類の能力に働きかける力があるようです。
描いた本人はこういうことを分っているのでしょうか?
一度、訊いてみたい気がします。