私の中のレインボー・チェイサー② 植物  西岡直樹

tamisan

2011年12月18日 09:29

 

 その昔、70年代安保やベトナム戦争反対をスローガンに、
 反体制を戦った学生運動が終焉を迎えた後のこと、
 フラワー・チルドレンからヒッピー・ムーブメントへとその平和運動は姿を変えていきました。
 そして多くの若者が世界的なムーブメントの波に乗って、
 精神世界を求めインドへとさすらっていきました。


 ちょうどその頃、西岡さんもインドを旅していました。
 ただ彼は放浪者としてインドを訪れたわけではなく、
 ベンガルやカルカッタの大学にベンガル語を学ぶ学生として滞在していたのです。

 そこで彼はインドの植物の調査や、植物にまつわる民話などの収集に明け暮れます。
 (もっとも、見た目と暮らしぶりはヒッピーと大差なっかたろうと思われますが・・・。)
 

 その旅の成果として彼が書き上げたのが、「インド花綴り」(副題 印度植物誌)です。
 この本は、彼がインドの人々との日々の暮らしや交流を通して得た
 さまざまな植物にまつわるお話が、 
 彼の直筆になる美しくも正確な植物図と共におさめられています。
 


 同じ頃インドを旅した者として、私は一種懐かしい思いでこの本を読みました。
 彼の本を読んでいると、
 頭の中に手を突っ込まれて脳みそを柔らかくマッサージされているような快感を覚えます。

 繊細でおしゃれなセンスを売りにした昨今の癒しブーム。 
 それは白く細い美しい手をしています。

 でも西岡さんの手は(実物を見たことはありませんが)、
 庭師のように日に焼けて少々無骨で、
 爪のあいだには葉っぱと土の香りがしみついています。

 けれどその手には、私は安心して頭の缶のふたをパッカと取り外し、
 自分の脳みそを進んで委ねることができるのです。
 そういう意味でこの本はとても稀有な本だと思います。

 (かたや宮澤賢治の手は、私の心の臓に同じ作用を及ぼします。
 西岡さんは、たぶん賢治と同じ手をしていると思います。)
 


 あのインドでの日々、私は最初から最後まで異邦人のままでした。
 けれど西岡さんは、たまたま異国で生まれたイトコのような顔をして、
 インドの人々と一緒に暮らしているのです。

 それは私から見れば一種の才能だとしか思えないのですが、
 西岡さんにしてみればそれが彼の自然体であり、持って生まれ持った優しさなのでしょう。
 こういう人の前では、どんな人間もたちまち武装解除されてしまうのではないでしょうか。
 

 この本を出した後、彼はベンガル語の辞書を作るため、
 印刷用のベンガル語の植字作りに挑んでいると聞きました。

 おびただしい数の植字を一つ一つ手彫りしていこうというのですから、
 普通そこまでやるか!と思うのですが、そこが彼のレインボー・チェイサーたるところ。
 きっと労多いこの偉業を、愛をもってコツコツとやり遂げていくことでしょう。


 「インド花綴り」には、インドの神様の話もいっぱいでけっこう面白いですが、
 沖縄と同じ植物がたくさん出てくるのも興味深いです。

 誰かに脳みそをモミモミしてもらいたくなったときは、是非この本を読んでみて下さい。
 愛猫の肉球に勝ること、保証します。



★インド花綴り  西岡直樹  木犀社

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