2011年10月20日
夢のスープ アタゴオルより その②
「アタゴオル物語」には、もう一つ虹のでてくる『唐あげ床屋』というお話があります。
ある日、雨降り森に開店したばかりの唐あげ床屋へ、
テンプラとヒデヨシは葉っぱの傘をさして出かけます。
そこでは、客が夢のスープを飲んで眠っている間に、、
店主の唐あげ丸氏(もちろん猫)の奏でるバイオリンに操られたカニたちが、
お客の髪をカットしてくれるのです。
唐あげ丸氏は天才的な芸術家にありがちなタイプで、
演奏に夢中になってつい我を忘れてしまい、ヒデヨシの頭をスキンヘッドにしてしまいます。
恐縮する唐あげ丸氏に、どうなることかと見守るテンプラ・・・・。
夢から覚めたヒデヨシは、鏡を見るなり、
「う。かっこいい!!」とのたまうのです。
帰り際、唐あげ丸氏は夢のスープのうすめ液を、二人のハーモニカに塗ってくれます。
ハーモニカを吹きながら帰り道を歩いていると、突然ヒデヨシとテンプラの背中から、
ワッと高い虹が立ち上がるラストシーン・・・・。
巨大な植物や鉱物に囲まれた、力ではたどりつけない
マジカル・ファンタジー・ワールド 『アタゴオル』・・・・。
本当に何度読んでも飽きることがありません。
ところで、以前読んだことのある大好きな推理小説を、最近読み直した時のこと。
読み終えるまで、その内容を全く思い出すことができず、ガク然としたことがあります。

ほんと、年は取りたくないですよね。

ですが、もし年を取ってボケてしまったら、 きっと初めて読むときのように、
何度でもワクワクしながらヒデヨシの物語を読むことができる、
と思い至った時、何だか今からボケるのが楽しみになってきました。
その日に備えて、もし私がボケたら、これとこれとこの本を読ませておくように、
そしたら私はいつもハッピィーでおとなしくしているだろうから、
と常日頃から息子に言い含めております。(ほとんどがコミックです

そうしていつか私ベティちゃんは、夢のスープを飲んだように、
ワクワク、うっとりと老後の日々を過ごすのです。
★「アタゴオル物語 1」 ますむらひろし 朝日ソノラマ
2011年10月15日
水羅姫の虹 アタゴオルより その①
私の愛読書の一つに、漫画家にしむらひろしの描く「アタゴオル物語」があります。
アタゴオルと呼ばれる不思議な世界では、
猫は人間のように言葉を話せるし、立って歩くこともできるのです。
そこは、ミラクルな夢にあふれた猫の世界なのです。
物語は、天衣無縫なデブ猫のヒデヨシと、
親友の心優しい人間の若者、テンプラを中心に繰り広げられます。
この本の中に、虹の出てくるシーンが二つあります。
一つは、『冬のサーカス団』。
ある時、謎のサーカス団が失われた黒髪王の秘宝を求めて、
突如冬のアタゴオルに現れます。
ドドドドと打ち鳴らされる太鼓の音とともに響く大音声、
『群青色のテントひっさげて
ふぶきの夜を
森から森へと移動する
くらやみの一群!!
葉魔サーカス団!!』
いよいよサーカスの始まりです。
はじめに登場するのが、緑死海からやって来た
長い黒髪の人魚の乙女、水羅姫(みらひめ)。
水羅姫は透明な水槽から半身を出し、大勢の観客の見つめる中、
ガラスの器に満たされたドロ水を、残らず飲み干します。
と、次の瞬間、何と口から美しく光り輝く虹を吹き出すのです!
黒ベタの影絵風に描かれる、なんとも印象的なシーンです。
このシーンを見た時、昔試したことのある、ある瞑想法を思い出しました。
それは、まず吸う息とともに、ネガティブな思い
(憎しみや苦しみ、、悲しみなど)を、思い切り吸い込みます。
そして、息を吐くときは、愛だけを吐き出すのです。
これにトライした時、そんな悪いものばかり吸い込んだら、体の中が真っ黒になって、
ポジティブなものなんて吐き出せるわけないじゃん、と正直思いました。
でも、実際にやってみたら、意外と簡単にできちゃったのです。
しかも、体の中にネガティブなものが残るどころか、 内も外もすべてが愛に包まれ、
清らかな風が体の中を吹き抜けていくのです。
これには驚かされました。
憎しみを愛に変える錬金術・・・・。
興味のある方はどうぞお試しあれ。
アタゴオルと呼ばれる不思議な世界では、
猫は人間のように言葉を話せるし、立って歩くこともできるのです。
そこは、ミラクルな夢にあふれた猫の世界なのです。
物語は、天衣無縫なデブ猫のヒデヨシと、
親友の心優しい人間の若者、テンプラを中心に繰り広げられます。
この本の中に、虹の出てくるシーンが二つあります。
一つは、『冬のサーカス団』。
ある時、謎のサーカス団が失われた黒髪王の秘宝を求めて、
突如冬のアタゴオルに現れます。
ドドドドと打ち鳴らされる太鼓の音とともに響く大音声、
『群青色のテントひっさげて
ふぶきの夜を
森から森へと移動する
くらやみの一群!!
葉魔サーカス団!!』
いよいよサーカスの始まりです。
はじめに登場するのが、緑死海からやって来た
長い黒髪の人魚の乙女、水羅姫(みらひめ)。
水羅姫は透明な水槽から半身を出し、大勢の観客の見つめる中、
ガラスの器に満たされたドロ水を、残らず飲み干します。
と、次の瞬間、何と口から美しく光り輝く虹を吹き出すのです!
黒ベタの影絵風に描かれる、なんとも印象的なシーンです。
このシーンを見た時、昔試したことのある、ある瞑想法を思い出しました。
それは、まず吸う息とともに、ネガティブな思い
(憎しみや苦しみ、、悲しみなど)を、思い切り吸い込みます。
そして、息を吐くときは、愛だけを吐き出すのです。
これにトライした時、そんな悪いものばかり吸い込んだら、体の中が真っ黒になって、
ポジティブなものなんて吐き出せるわけないじゃん、と正直思いました。
でも、実際にやってみたら、意外と簡単にできちゃったのです。
しかも、体の中にネガティブなものが残るどころか、 内も外もすべてが愛に包まれ、
清らかな風が体の中を吹き抜けていくのです。
これには驚かされました。
憎しみを愛に変える錬金術・・・・。
興味のある方はどうぞお試しあれ。
★「アタゴオル物語2」 ますむらひろし 朝日ソノラマ
2011年10月12日
死者の虹
昨日は満月でした。
先月の中秋の名月の時は、天気が悪くて月を眺めることはできなかったのですが、
昨日は夜になってとてもよく晴れ、久しぶりに見る満月でした。
私は月光浴をしながら少し遠回りをして、
宅地造成中の街灯のない暗い道をひとり歩きました。
途中、お墓の密集した丘があって、その上に満月が静かに昇っています。
時折雲がかかって、月の周囲にまあるいぼんやりとした虹の輪ができました。
これは光環(こうかん)と呼ばれる現象で、
月の光が薄雲を通過した時に見られる現象だそうです。
沖縄では、満月の周りに虹ができる時、
亡くなった人の魂が月に昇って行くという言い伝えがあります。
私の父と母もこんな晩に、虹の光を伝って月に昇って行ったのでしょうか。
ぼぉ~と霞んだ虹にやさしく包まれたお月さまは、
幽玄でやわらかな雰囲気があって、死んだ人の魂にふさわしい気がします。
今では、二人とも月の世界の住人になって、
空の上から私を見守っていてくれるのでしょうか・・・・。
帰り道をたどった時から私はずっと、
静かでちょっぴり物悲しい、穏やかな気持ちで時を過ごしています。
2011年10月10日
Newton 10月号
科学雑誌ニュートンの今月号に、虹の記事がのっているのを図書館で見つけました。
喜び勇んで書店に行き、さっそく買いもとめました。
色々な種類の虹が、美しい写真と科学的解説と共にのっています。
とても参考になったのですが、反面、科学で説明されちゃうと、
夢や不思議感がその分減ってしまったような気がして、少し淋しい気もします。
私には、写真だけで良かったのかも・・・。
でも、サブタイトルがとても素敵です。
『光と水がつくりだす虹』
虹は光と水でできている・・・。
そう言われてみると確かにそうですよね。
光と水・・・そっと口の中でこの言葉をころがしてみました。
何だか、とても爽やかな感じです。
★「Newton 2011年10月号」 ニュートン プレス
2011年09月30日
骨を折って見た虹
以前、旅先で一月ばかり入院したときのこと・・・・。
3階にある私のベッドの横の大きな窓からは、
美しい山並みと、すそ野に広がるサトウキビ畑を見渡すことができました。
肋骨が3本折れていたので、ただただ身動きせず、
安静にしているしかない日々が続いていました。
とはいっても、家事や仕事から解放され、
上げ膳据え膳、こんな気楽なことはありません。
しかもその病院、医者はヤブでしたが食事はとてもおいしかったのです。
閑話休題。
その医者がどのようにヤブかというと、少し話はそれますが、まぁ聞いて下さい。
どこの骨が折れているのかという私の質問に対し、
胸部のレントゲンを見ながらこのへんだと指をさすので、
体の前か後ろかときくと、痛いところがそうだと答える。
どこもかも痛くてわからないと言うと、押してみて痛いところがそうだと言う。
とても自分でそんなことできないとい言うと、
ヤブめは私の左胸の下を指で突いた。
思わず痛い!と声を上げると、ここだと言う。
なんでどこが折れたか知りたがるのだと医者が訊くので、
そんなこと当たり前でしょ、アホかお前は、と言いたいところをグッとこらえ、
そこに意識を集中して早く直るようにするのだと答えると、
鼻で笑って馬鹿にした。
腰痛ベルトを巻きつけるだけの手当てしかしないので、
もう少し何かしてくれないかと言ったら、大きな湿布薬をくれた。
私はそれを律儀に毎日貼り替えた。
そうして退院間際になった頃、実際に折れていたのは背中の側だったと判明。

レントゲンを見てどこが折れているかもわからないなんて、
それでも外科医か!恥を知れ、恥を!

・・・かくて、私の医者不信採点表に更に得点が追加された。

(あーあ、医者の悪口となるとついつい頭にカッカきて、我を忘れてしまいます。
すいません、話をもとに戻します。)
トイレに行く時はちょっと大変でしたが、それでもまぁ~私は毎日幸せでした。
なんといっても、瑣末な日常の心配りをすべて忘却し、
三食昼寝付きで、美しい自然のパノラマを飽かず楽しむ日々だったのです。
そんなある日、山の斜面や、すそに広がる畑のあちこちに、
平屋の高さほどの小さな虹が、かわいいアーチを描いて
いくつもいくつも湧き上がっているのを見たのです。
絵に描いてお見せできないのが残念なくらい、
それはそれはマジカルでメルヘンな風景でした。
虹は空に架かっているのではなく、地面から噴き出しているように見えました。
思い返してみると、そこは夕暮れの山の陰になっていて
陽はあたっていないのですから、畑の散水でできた虹ではありません。
それに普通、あんなに小さな虹が、10コくらいいっぺんに
あちらこちらに出現するなんて、ちょっとあり得ないことでしょう?
それでは、あの時見た虹はいったい何だったのでしょう・・・・。
もしかして私が見たものは、
ヒッピーやドラッグカルチャーの申し子達が表象とするあの虹、
アマゾンのシャーマンがトランス状態で見る類の、虹だったのではないでしょうか?
あの頃の、入院生活という俗世から隔絶された特殊な状況が、
私の意識を一種の変性状態に導いていたのではないかという気がするのです。
けれど私はあの時、特に驚くでもなく、何の疑念も抱くことなく、
もっと見ていたいというこだわりもなく、ふーんといった感じで
見えることを当たり前のように素直に受け入れていたのが、今思い返すと不思議です。
もっととっくりと見ておけば良かったと後になって思ったのですが、
たぶん、そういう雑念があると見えない虹だったのかもしれませんね・・・。
それにしても不思議な虹を見たものです。
それこそ骨を折ってみた甲斐があったというものです。
2011年09月15日
2011年09月14日
朝の虹を撮る方法
このごろ、早朝雨が降り、日が昇ると天気になるといった日々が続いていました。
今日も朝起きると雨が降ったあとがあり、
空を見上げると、まだ雨雲が東の空に残っています。
昨日の天気予報では、今日は晴れです。
もしかしたら今日はいけるんじゃないか、
そう思ってデジカメを持ってウォーキングに出かけました。
数日前虹を見た丘に登り、ストレッチをしながら虹を待ちます。
7時半を過ぎたころ、小雨が降ってやみ、青空が見えてきました。
すると・・・・、出ました!虹が!
ちょっと色が薄くて細めですが、もうパチンコでチューリップが全開したような気分です。

やっと自分の撮った虹の写真でブログの壁紙を作ることができるかも・・。ヤッホー!
以上の体験などから、私なりに朝の虹を撮る法則を考えてみました。ご参照あれ。
チェック項目
1.場所・・・よく出る所
2.時間・・・夏 7時半前後
3.天気・・・朝、雨が降り、その後晴れる
4.方角・・・西の上空

朝起きてこれらの条件に当てはまりそうなら、カメラを持って出かけます。
あとは運です。good luck!

タグ :朝の虹を見るコツ
2011年09月10日
二つの虹
浦添の経塚(きょうづか)に、その地名の由来となった小さな丘があります。
琉球松に囲まれたその丘は、最近架け直された経塚(ちょうちか)橋のすぐ上にあり、
そこに金剛嶺(こんごうれい)と刻まれた古い石塚が建っています。
昔、このあたりは昼なおうす暗い森だったそうです。
そこには怖ろしい妖怪が住みついていて、人々を悩ませておりました。
そこで神通力を持ったお坊さんがその妖怪を退治して、
お経を書いた石を埋め、その上に金剛嶺の石を据えたのです。
こうして妖怪たちは鎮まり、めでたしめでたしとなったわけです。
これが経塚の由来ですが、ひと気のないその丘に一人で立っていると、
なんだかゾクッとしてくるのは、気のせいでしょうか?
夏のある朝、経塚橋の上を歩いていた時のことです。
経塚の丘の上に、なんと、大きな虹が二つも架かっているいるではありませんか!
ふだんよく見る虹はだいたい一つですが、その上にもう一つ虹が乗っかっているのです!
調べたところによると、これは副虹(ふくこう)というものだそうです。
私たちがよく目にしているのが主虹(しゅこう)で、
主虹は水滴が1回反射してできて、副虹は2回反射してできるのだそうです。
(そう言われてもいみくじピーマンですが・・・)
副虹は、たまに見えることがあってもうすぼんやりしているし、
部分的にしか見えないことが多いのですが、
このときの虹はハッキリクッキリ、
主虹に負けないくらいきれいに見えていたのには驚きました。
けれど、何だか何かがおかしいのです。
よく見ると、副虹の色の並び方が違うのです。
私たちがよく見る虹は,下から紫、藍、青、緑、黄,橙、赤と並んでいますが、
副虹はそれが真逆で、上から紫、藍、青、緑、黄、橙、赤になっているのです。
二重の虹に、反転する色・・・・。本当に虹って不思議ですね。
今思い出しても経塚橋の上から眺めたこの日の虹は、本当にパーフェクトな虹でした。
二本の虹が、少しの欠けもかすれもない姿で、
緑の丘の真っ青な空に色鮮やかに描かれていたのですから。
P・S 由来話をもうひとつ。
地震や雷のとき、沖縄の人は「チョーチカ、チョーチカ」とおまじないを唱えるのですが、
その言葉もこの経塚から来ているようです。
怖ろしい妖怪を封じ込めた、強力なマジカルパワーにあやかってのことなのでしょうね。
今朝、、久しぶりに塚を訪ねてみました。
塚のそばの説明書きを読んでみると、500年前の出来事だったのですね。
お坊さんの名前までちゃんと詳しく書かれてありました。
金剛嶺と刻まれた石は、あちらこちら欠けてみるからに古さびておりました。
もしかしたら塚が建てられた時からの石なのでは・・・・と考えると、
何だか妖怪退治のお話が、とても身近にリアルに迫ってきました。
どうかあの美しい虹が、塚に封じ込められた妖怪たちの心を、
少しでも慰めてくれますように・・・・。ア~、チョーチカ、チョーチカ。
2011年08月31日
虹の足元
虹の足元には、宝の壷が埋まっている・・・・。
そんな言い伝えを皆さん聞いたことがおありだと思います。
平安時代には、虹の立ったところに市を立てたそうです。
虹を見たときって、誰でも幸せで清々しい気持ちになって、
ヨッシ、今日はついてるぞ!と思えるものです。
平安時代の人も、そんな虹の立った所で商いすれば、
きっと商売もうまくいくと考えたのでしょうね。
でも、誰かの目撃情報を頼りに、気まぐれな虹に振り回されていたのかなぁ・・・。
そんな姿を想像すると、なんだかおかしくなってきます。
でも虹の足元って、そんなにはっきり見ることができるものなんでしょうか?
私も虹を見たことは多々あれど、その足はいつも地のはるか上でぼやけているか、
風景の中に隠れているかでした。
実際にそれを見るまでは、虹の足は私にとって幽霊の足みたいなものでした。
(一般的には直接地面に接することなく、ぼやけている。
なかには、実際に足のあるものもいるという話は聞くが、私はまだ見たことがない。)
ところが、去年のある夏の朝、浦添市内の海が見える丘の上から、
念願の虹の足を見ることができたのです!
その丘は高い崖になっていて、ずっと下まで森が続いています。
その先はいくつかの丘に囲まれた盆地になっていて、住宅地が広がっています。
その中のある民家の前の小さな空き地の草の上から、
虹が大きく立ち上がっていたのです!
まるで絵本の挿絵のような光景でした。
もちろん遠く離れた高台から見ているので、
地面の上何センチから足が出ているかまではわかりません。
でも、そこまで下りて行って、「ここです!ここに宝の壷が埋まっています!」
と自信を持って指させるくらいはっきりと見えていたのです。
一昨日の朝、雨が降っていたので傘をさしてウォーキングに出かけました。
なんとなく気が向いて,その丘まで登ってみました。
雨も小止みになり、もしかして又あの場所で虹の足が見れないかな、
と期待しながらしばらく下を眺めていました。
あきらめてもう帰ろうかと、ふと左上のほうに目をやると、
白い雲をバックに空高く虹が架かっているではありませんか!
そしてその虹のアーチをなぞっていくと、途中から消えてはいるものの、
その着地点は、以前に見たあの場所のあたりです!
もしかしたら、そこは虹の立ちやすい条件が整っている場所なのかもしれません。
逆に言えば、条件さえそろえば同じところに虹が立つ、ということになります。
そうなると、その場所が市場として定着していくということもあり得るのでは・・・・。
ん~、これって虹と市に関する民俗学の新説?)
あの土地を買って住んだら、
朝起きて窓を開けると、庭の芝生から虹の足が天に向かって生えている・・・・、
な~んてことが起こるのでしょうか?
2011年08月26日
賢治と虹
朝早く、近くの公園にウォーキングに出かけたときのことです。
ストレッチをした後、ベンチに座って休んでいると、
木々の上から太陽の光が差し込み始め、 足元の草がダイヤモンドのように、
赤や黄、緑やオレンジや白などの光を放ちだしたのです。
それを見ていて、宮澤賢治の「十力(じゅうりき)の金剛石」という童話を思い出しました。
それはある霧の深い朝、主人公の王子が友達の少年と一緒に、
虹の足元にあるというルビーの絵の具皿を求めて、森の中に入っていく物語です。
虹を追いかけているうちに、二人は不思議な世界へ迷い込みます。
そこでは、二人の帽子飾りのハチドリも自由に飛びまわり、人の言葉を話しだすのです。
降る雨は、トパーズ、サファイヤ、ダイヤモンドなど色とりどりの宝石となって落ちてきて、
ぶつかり合っては小さな虹を上げるのです。
草も花も美しく輝く宝石でできていて、目も綾な光の虹に彩られています。
そこは、すべてが宝石でできた素晴らしい光の丘でした。
けれど何故か、光の丘の住人たちは心満たされぬ思いでいるようで、
十力の金剛石という貴重な宝石が下るのを、焦がれるように待ちわびています。
悲しみにくれて彼らは叫びます。
『十力の金剛石はけふも来ず
めぐみの宝石(いし)はけふも降らず、
十力の宝石の落ちざれば、
光の丘もまっくろのよる。』
・・・・そしてやっとその宝石が光の丘に下ったとき、世界は一変します。
草はみずみずしくたおやかな本当の草になり、
花は、柔らかな花びらと香りを持った本当の花に変わります。
十力の金剛石とは、すべての生命を内側から輝かせる露だったのです・・・・。
そして、青い空、輝く太陽、ふきわたる風、かぐわしい花、柔らかな草、
涙に輝く瞳・・・・ありとあらゆるものが十力の金剛石だったのです。
こうして二人は、草が草であり、花が花であるあたりまえの世界に戻ってきます。
けれど、そこはもう前と同じ世界ではありません。
ありのままの世界そのものが、
何ものにもかえがたい本当の美しさと貴さに満ちている・・・・。
そのことを知った二人は、
ひざまずいて感謝の祈りをささげた後、静かに丘を下っていくのです。
・・・・私にとって賢治の童話は、
極楽浄土をこの世につなぐ、美しい虹の橋のように思われます。
★「十力の金剛石」 新集宮澤賢治全集 筑摩書房刊
2011年08月21日
天空の虹に突入せよ!
去年の夏、新都心のNHK前の広場に座って、例によって空を眺めておりました。
美術館の左上あたりに、大きな夏雲がモクモクと立ち上っています。
中央の灰色にかげったあたりに、もしかしたら虹ができるんじゃないかな・・・・
そんな気がしてしばらく見ていました。
すると、予感的中!
小さな虹のかけらができました。
むふふふ・・・・と喜んでいたら、なんと右手から現れた飛行機が
その虹に向かって突き進んでいくではありませんか!
ウッソー!!(イエ、これは本当の話です)
見る間にその飛行機は虹のカーテンを夢のように通り抜け、
向こうの空に飛んでいってしまったのです。
私は、たった一人でこの出来事を眺めておりました。
大勢の人が歩き回っているこの街中で、
今、この瞬間、空で起こった素敵な奇跡を目にしたのは、
もしかしたら私だけだったかもしれません。
そう思うと、なんだかとっても得した気分でした。
でも、あの飛行機に乗っていた人たち・・・・。
虹のカーテンのど真ん中に突っ込んでいくときの気分てどんなだったでしょうね・・・・。
前回の、飛行機で虹のアーチをっくぐった話といい、この話といい、
もしかしたら空の飛行機野郎たちは確信犯なのではないでしょうか。
『前方に美しい虹発見!突入せよ!』
な~んてね。
2011年08月12日
夜の虹を見た人
先日自分のブログを他のパソコンから探していたら、
「高武森バナナ日記」の『夜の虹』にヒットしました。
朝の虹があるんだから、夜の虹もあればいいのにな・・・・
なんて思っていたら、実際に見た人がいるんですね~!!
高武森さんは、夜釣りをしていて3回も見たことがあるそうです。
虹の見える条件は、南の島で、満月で晴れていて、カタブイしていることだそうです。
いいな~、満月の夜、海の上に浮かぶ虹・・・・。
きっと神秘的でしょうね。
私も見てみたいです。
詳しくは、彼のブログを参照あれ。
ちなみに。他の記事も面白くておススメです。
まるで短編小説を読んだような感じがするくらい、
心に残る不思議で怖いお話が満載ですよ。

タグ :月虹
2011年08月08日
虹のアーチをくぐれ! 天空編
数年前、那覇から石垣に向かう朝1便に乗っていた時のことです。
雲がわりともくもくしていたように記憶しています。
何気なく窓の外を見たら、飛行機の前方に大きな虹が見えるではありませんか。
しかも、ドーナツ状の輪っかの形をしているのです。
このままいけば、飛行機はまるでライオンの火の輪くぐり状態なのです!
機はどんどん虹に近づいていきます。
私のところからは、虹は機体に隠れて右半分しか見えません。
空の上では窓から身を乗り出すこともできず、
私は必死で窓ガラスにへばりついていました。
さあ、いよいよ私たちは飛行機ごと虹の輪っかに突入するのです!
こんなことがわが身に起きるなんて、本当にアンビリーバボーです。
与那原の時の虹は真上近くまで見えていたので、
今回は飛行機の鼻が虹に突っ込むあたりまで見えるのかな、とワクワクしていました。
ところが、虹は意外なことにもっと手前でフッと消えてしまったのです!
どうして、なんでもっと見えないの?
内心思わず大声で叫ぶ私でした。
飛行機のスピードのせいでしょうか?
(あー、誰かこの理屈を知っている人がいたら教えて!)
でも、あの時コックピットの操縦席からは、
円形の虹(輪虹)が真正面に見えていたでしょうね。
うらやましい役得です。
2011年08月06日
虹のアーチをくぐれ! 地上編
昔、父親の運転する車で夕方、与那原街道を馬天向けに走っていた時のことです。
前方に大きな虹が、道路をまたいで完全なアーチを描いて立っていたのです!
虹はどんどん近づいてきます。
このままいけば、私たちは虹のアーチをくぐっちゃうぞ、ラッキー!
(虹は追いかけても追いかけても逃げていき、
アーチをくぐるなんてことありえないとそれまで思っていたので、
この時は本当にワクワクしました。)
虹はどこまで見えるのだろう?
もしアーチをくぐったら、振り返ってもまだ虹はそこにあるのでしょうか?
それをこの目で確かめようと、私は助手席から身を乗り出し、
必死で虹を見つめていました。
さあ、この後どうなったと思います?
虹は目前まで見えていました。
そして真上に来た瞬間・・・・消えたのです!
後ろを振り返ると、虹はもうそこにはありませんでした・・・。
はたして、私たちは虹のアーチをくぐったと言えるのでしょうか?
答えは・・・・イエスです。
ちゃんと証人もいます。
後ろから来た車に乗っていた人は、私たちの乗っていた車が
確かに美しい虹のアーチをくぐったのを見た、と証言することでしょう。
2011年07月25日
朝の虹 竹富島編
私は虹を見るのと同じくらい、星を見るのが大好きです。
石垣島で初めて朝の虹を見た翌年、同じ7月上旬、星を見に竹富島にわたりました。
満天の星、大空をまたぐ天の川を満喫した次の朝、同じ浜にウォーキングに出かけました。
砂浜に座ってぼーっと向かいにある西表島を見ていると、
島の上に虹の足が生え始めているではありませんか!
虹はどんどん背を伸ばし、とうとう島の上にきれいなアーチができたのです。
2度目の朝の虹、条件は去年とまったく同じです。
それを見ていて、はっと気が付きました。
もしかして、去年石垣で見たのはこの虹だったのではないか、
あれは竹富ではなく西表にかかる虹だったのだ!
雨もないのに虹ができるのは、
西表島のジャングルから立ち昇る水蒸気に、朝陽が当たっているからではないのか。
(ちなみにレインボーブリッジからは、武富島と西表島は同じ方向に重なって見えます。)
きっとそうにちがいない・・・・私は一人確信しました。
皆さんはどう思いますか?
2011年07月19日
朝の虹 石垣島編
皆さんは、朝の虹を見たことがありますか?
私は長いこと、虹というのは夕方西にある太陽を背に、
雨上がりにしか見れないものと思い込んでいました。
ところが、数年前石垣島で、その名もレインボー・ブリッジの上から
西の竹富島にかかる朝の虹を見たのです。
しかも、3日連続で!
時は朝の7時半、お天気も良く、太陽は東の空にいるのです。
今まで思い込んでいたのとすべて全く逆の条件です。
こんな美しいものによって常識がひっくり返されるなんて、何と嬉しい衝撃でしょう。
それ以来、朝のウォーキングで虹をさがすのが私の楽しみになりました。
これからこの日記に、私の見た不思議な虹たちのことや、
虹にまつわるいろいろなお話を書いていきたいと思います。
皆さんも、虹に関する情報や思いをお寄せください。