2013年02月03日
虹の足に触れる
スミマセン。
クローズを宣言したのに、今日はどうしても書いておきたいことができたので、
意を決して書きます。
先日、バスでとなりに乗り合わせたあるおばあちゃんと世間話をしておりました。。
その時バスの窓から虹が見えたので、私は思わず
「アッ、虹が出てる!」
と叫び、半分しまっていたカーテンを全開にしました。、
それをきっかけに、となりにいたその方が、昔体験した虹のこと語り出したのです。
その方は、以前南々城(なんなんぐすく)の近くに住んでいて、
よくそこへ子供をつれて遊びに行っていたそうです。
ある日、子供と一緒に城の長い石段をいつものように登って行きました。
登りきった所に石の塀があるのですが、その前に何と!虹が立っていたのです!
しかもその虹、地に直接足を接しているではありませんか!
親子は腰をかがめて、虹の足にそっと手を触れてみました。
何が起きたと思います?
・・・・・なにも。
何があったと思います?
・・・・・なにも。
そこでさらに手を虹の中に入れてみました。
何か変化はあったでしょうか?
な~んにも・・・・・。
何か感じ取れたでしょうか?
な~んにも・・・・・。
虹はそこに確かに見えているのに、手に触れるのは空ばかりだったのです・・・・。
かすかな水蒸気さえも感じられなかったそうです。
二人は5分ばかりもそこで虹と戯れていたそうです。
虹が足元から立っている現場に居合わせるという幸運!
しかもその虹に手を差し入れたとは、なんてラッキーな人達なのでしょう。
たとえ虹はつかめなくとも、
その手のひらの上に確かに虹を乗せることができたのですから・・・・・。
(きっと前世で並々ならぬ功徳を積んだに違いありません。
アーウラヤマシイ~)
優しい感じのおばあちゃんでしたが、以前は幼稚園の先生をしていたそうで、
その時のエピソードも話してくれました。
父親を亡くした男の子が,あるとき虹の絵を描いていたそうです。
その絵を先生に見せながら彼が言った言葉は、
「ボク、大人になったらこの虹の橋をわたって、天国にいるお父さんに会いに行くんだヨ」
・・・・・この話を聞いたほかの先生方もみんな涙したそうです。 続きを読む
クローズを宣言したのに、今日はどうしても書いておきたいことができたので、
意を決して書きます。
先日、バスでとなりに乗り合わせたあるおばあちゃんと世間話をしておりました。。
その時バスの窓から虹が見えたので、私は思わず
「アッ、虹が出てる!」
と叫び、半分しまっていたカーテンを全開にしました。、
それをきっかけに、となりにいたその方が、昔体験した虹のこと語り出したのです。
その方は、以前南々城(なんなんぐすく)の近くに住んでいて、
よくそこへ子供をつれて遊びに行っていたそうです。
ある日、子供と一緒に城の長い石段をいつものように登って行きました。
登りきった所に石の塀があるのですが、その前に何と!虹が立っていたのです!
しかもその虹、地に直接足を接しているではありませんか!
親子は腰をかがめて、虹の足にそっと手を触れてみました。
何が起きたと思います?
・・・・・なにも。
何があったと思います?
・・・・・なにも。
そこでさらに手を虹の中に入れてみました。
何か変化はあったでしょうか?
な~んにも・・・・・。
何か感じ取れたでしょうか?
な~んにも・・・・・。
虹はそこに確かに見えているのに、手に触れるのは空ばかりだったのです・・・・。
かすかな水蒸気さえも感じられなかったそうです。
二人は5分ばかりもそこで虹と戯れていたそうです。
虹が足元から立っている現場に居合わせるという幸運!
しかもその虹に手を差し入れたとは、なんてラッキーな人達なのでしょう。
たとえ虹はつかめなくとも、
その手のひらの上に確かに虹を乗せることができたのですから・・・・・。
(きっと前世で並々ならぬ功徳を積んだに違いありません。
アーウラヤマシイ~)
優しい感じのおばあちゃんでしたが、以前は幼稚園の先生をしていたそうで、
その時のエピソードも話してくれました。
父親を亡くした男の子が,あるとき虹の絵を描いていたそうです。
その絵を先生に見せながら彼が言った言葉は、
「ボク、大人になったらこの虹の橋をわたって、天国にいるお父さんに会いに行くんだヨ」
・・・・・この話を聞いたほかの先生方もみんな涙したそうです。 続きを読む
2012年10月27日
クローズのお知らせ
悲しいお知らせがあります。
最近引越しをしたのですが、
その時私の不注意から、ベティーちゃんを死なせてしまったのです。
そんなこともあり、しばらくブログを書いていなかったのですが、
最近仕事を再開することになり、急に忙しくなってきました。
これを機に、虹日記をクローズしようと思います。
今まで読んでくださった方たちへ・・・・。
ありがとうございました。突然で申し訳ありません。
これが最後なので、引っ越した後で見た色々な虹たちのことを書いておこうと思います。
過剰虹
引っ越した3日目の朝、近くの大きな運動公園にウォーキングに出かけました。
帰り際、急に天気雨が降り始め、
向こうから歩いてきた人が驚いたように足を止め、上を見上げました。
もしかしたらと振り返ってみると、
何と今までで最高の大きな虹が2本、雌雄そろって姿を見せていたのです。
そのうえ、雄の虹はW巾(ダブルはば)なのです。
W巾というのは、ふつうの虹の下側にもう一つのぼんやりとした虹がくっついているのです。
Newton 2012,10月号によると、それは過剰虹というもので、
『条件が整わないとなかなか見えにくいもの』だそうです。
夏の朝の青い空をバックに、ハッキリクッキリと巨大な副虹と過剰虹が同時に見られるなんて、
まるで新しい土地が私を歓迎してくれているようで嬉しかったです。
ピンクの虹
それからしばらくして、夕方の散歩で運動公園に行く橋を渡っていたときのこと。
左手に見える豊見大橋のあたりが夕焼けしているのですが、
なんだか橋のたもとに奇妙なピンク色の柱のようなものが立っているのです。
よくよく見てみると、それは何と夕日に染まった虹の脚だったのです!!
ハハーッ・・・・!虹がピンクに・・・・?虹って染まるの
うそでしょう、ピンク色の虹がこの世にあるなんて。
私の心はちぢに乱れました。
怪しくも妖しく美しい、わが目を疑うほどのアンビリーバボーな虹でした。
彩雲
後日、またまた物凄いものを見ました。旭橋近くの海岸に夕日を見に行ったときのこと。
日が沈んだ後、西に薄く広がっていた雲の一部が
さまざまなパステルカラーに彩られはじめたのです。
眺めているうちに、その美しい色はどんどん広がって、
西の空の半分ほどをおおっていた雲全体に波及していきました。
薄くメタリックに輝く七色の雲・・・・。
綾雲の出現です!
こんなにも美しい雲の光景があっていいものでしょうか・・・・。
しかも、その至福の光景は30分も続いたのです!
筆舌に尽くしがたいとは、あのようなことを言うのでしょう。
映像に残せなかったのが本当に残念です。
いま思い返そうとしてみても、あのときの刻々と移り変わっていった美しい光景は、
私の記憶の網の目からこぼれ落ちていくばかりです。
メタリック・ブルーの美しかったベティーちゃん。
信じられないような不思議な虹たち・・・・。
たぶん、すべてがいつか忘れ去られていくことでしょう。
なんびともそれを留めることはできません。
でも、美しいもの、不思議なものを見た時の感動は、
私の魂に何らかの痕跡を残していくような気がします。
銅板を打ち出して器を形造っていくたがねのように、
私の魂を少しづつ美しいものに変えてくれる・・・・そんな気がするのです。
では皆さん、さようなら。
God bless whith you.
最近引越しをしたのですが、
その時私の不注意から、ベティーちゃんを死なせてしまったのです。
そんなこともあり、しばらくブログを書いていなかったのですが、
最近仕事を再開することになり、急に忙しくなってきました。
これを機に、虹日記をクローズしようと思います。
今まで読んでくださった方たちへ・・・・。
ありがとうございました。突然で申し訳ありません。

これが最後なので、引っ越した後で見た色々な虹たちのことを書いておこうと思います。
過剰虹
引っ越した3日目の朝、近くの大きな運動公園にウォーキングに出かけました。
帰り際、急に天気雨が降り始め、
向こうから歩いてきた人が驚いたように足を止め、上を見上げました。
もしかしたらと振り返ってみると、
何と今までで最高の大きな虹が2本、雌雄そろって姿を見せていたのです。
そのうえ、雄の虹はW巾(ダブルはば)なのです。
W巾というのは、ふつうの虹の下側にもう一つのぼんやりとした虹がくっついているのです。
Newton 2012,10月号によると、それは過剰虹というもので、
『条件が整わないとなかなか見えにくいもの』だそうです。
夏の朝の青い空をバックに、ハッキリクッキリと巨大な副虹と過剰虹が同時に見られるなんて、
まるで新しい土地が私を歓迎してくれているようで嬉しかったです。

ピンクの虹
それからしばらくして、夕方の散歩で運動公園に行く橋を渡っていたときのこと。
左手に見える豊見大橋のあたりが夕焼けしているのですが、
なんだか橋のたもとに奇妙なピンク色の柱のようなものが立っているのです。
よくよく見てみると、それは何と夕日に染まった虹の脚だったのです!!
ハハーッ・・・・!虹がピンクに・・・・?虹って染まるの

うそでしょう、ピンク色の虹がこの世にあるなんて。
私の心はちぢに乱れました。
怪しくも妖しく美しい、わが目を疑うほどのアンビリーバボーな虹でした。
彩雲
後日、またまた物凄いものを見ました。旭橋近くの海岸に夕日を見に行ったときのこと。
日が沈んだ後、西に薄く広がっていた雲の一部が
さまざまなパステルカラーに彩られはじめたのです。
眺めているうちに、その美しい色はどんどん広がって、
西の空の半分ほどをおおっていた雲全体に波及していきました。
薄くメタリックに輝く七色の雲・・・・。
綾雲の出現です!

こんなにも美しい雲の光景があっていいものでしょうか・・・・。
しかも、その至福の光景は30分も続いたのです!
筆舌に尽くしがたいとは、あのようなことを言うのでしょう。
映像に残せなかったのが本当に残念です。
いま思い返そうとしてみても、あのときの刻々と移り変わっていった美しい光景は、
私の記憶の網の目からこぼれ落ちていくばかりです。
メタリック・ブルーの美しかったベティーちゃん。
信じられないような不思議な虹たち・・・・。
たぶん、すべてがいつか忘れ去られていくことでしょう。
なんびともそれを留めることはできません。
でも、美しいもの、不思議なものを見た時の感動は、
私の魂に何らかの痕跡を残していくような気がします。
銅板を打ち出して器を形造っていくたがねのように、
私の魂を少しづつ美しいものに変えてくれる・・・・そんな気がするのです。
では皆さん、さようなら。
God bless whith you.

2012年07月08日
太陽のゴールデン・レインボー
最近の私の日課は、朝日や夕日を見つめることです。

そもそもなぜそんなことを始めたかというと、不食関係の本を読んでいたら、
太陽から直接エネルギーを得る方法として、”太陽凝視”が出てきたのです。
それを長年j実践しているインドのヒラ・ラタン・マネク氏によると、
人間は目から直接太陽のエネルギーを取り込むことができるそうなのです。
太陽凝視によって彼は8年も食事をせずに元気に生きているとのこと。
なおかつ、それがNASAの実験によって実証されているのです。
その真偽はさておき、オーストラリアのアボリジニーにも、
裸眼で太陽を見つめる瞑想法があるというのを、以前本で読んで
興味を感じていたので、さっそくトライしてみることに・・・・。
日の出の1時間以内と、日の入り1時間前の時間帯に
裸足で大地を踏んで太陽を見つめるという、いたってシンプルな方法。
けれど、都会ではそれができる場所を見つけるのが意外と大変。
何とか見つけても、いつも晴れてくれるわけでもなし。
毎日10秒づつ見つめる時間をのばしていくのですが、とちゅうで雲に隠れたり、
水平線に沈んでしまったりと、なかなかはかどりません。
そんなわけで、目下2分くらいまで継続中。
さいしょ、日の出1時間後くらいの太陽を見ようとしたら、
まぶしくてとても直視なんかできません。
それでもっと高度が低くなったところでスタートしました。
それでも太陽を直視するのに目が耐えられるか不安があったのですが、
凝視していると不思議なことが起きました。
太陽をおおうグレーの膜がかかるのです。
まるで太陽にふたをしたみたいに、です。
それでなんなく凝視することができるようになりました。
そんなこんなと色々やっているうちに気が付いたことがあります。
仰角がおおよそ20度以内だと、太陽光線が金色になるのです。
そして波長も長くなり、その形が上向きに飛び立つ不死鳥や、
黄金の翼を持つエンジェルのように見えるのです。
(もちろんこれは全く私の主観です。)
そして長くなった金色の波長が虹のスペクトルに分光してきらめきます。
高度の高い太陽光の場合は、白い光が短いジラジラした虹に見えるのですが、
高度が低いほど、虹の一色づつがとても長く伸びるのです。
マネク氏は、太陽の光の色が人間の各臓器に働きかけて
それらを元気にさせる、と述べているのですが、
それはこのスペクトルの色のことでは・・・・。
何はともあれ、この太陽のゴールデン・レインボーを全身に浴びて悟りを開くのも
面白そうなので、定められた44分間の凝視目指して頑張ってみます。

公園の芝生の上、美しく千変万化する夕暮れの景色を眺めながら、
このごろ毎日至福の時を味わっています。

2012年02月27日
ソーラーガーデンカー
とても面白い車を見たので思わず写メを撮りました。
近所の薬局に用があって、自転車を降りたところ、目に入った光景がコレ!

何と、車の屋根の上一面に草が生えているではありませんか!
しかも赤いお花まで咲いてます。

自らの輩出したCO2を屋根の上の植物によって相殺するという、
これぞ究極のエコカー。


暑い夏も、屋上の土とプラントのおかげでクーラー要らず。
何とも素晴らしい発明ではありませんか!
名づけてソーラーガーデンカー。
近づいてよく見ると、車の上にネットが張ってあって、
その上に土を乗せ、じかに植物を植えてあり、コケで固定してあるようです。
植物の成長具合から、少なくとも数ヶ月以上は経過していると思われます。
しばらく待ってみましたが、運転手はとうとう現れませんでした。
家に帰ってお昼を食べながらこの写メをおかずに、
息子と二人、大いに盛り上がりました。
「そのうち流行るんじゃない?」
「車の上に庭を作る人に、県が補助金を出してくれるかもよ」
「みんな色々な花を植えたりしてさ」
「ひまわりとか、チューリップとか・・・・。ハハハハ

「木を植えたりして」
「木は無理でしょう」
「盆栽みたいに小さいの」
「でも落ちてくると危ないんじゃない」
イヤー、あの車が草をなびかせながら走っている様が見たいものです。
それにしてもこんなマンガみたいなものを、
大の大人が一生懸命作って世間様のあいだを走らせているなんて、
何て愉快なんでしょう。

こんな奇人変人がいるなら、世の中まだまだ楽しいことがありそうです。
トゥンジービーサで凍えた身体が、中からほっこりしてくるようなできごとでした。

※トゥンジービーサ=沖縄の方言で、冬至の頃のとても寒い日のことを言う。
実はこの出来事、去年の暮れにあったのですが、
写メをパソコンに取り込めず、保留になっていました。
仕方がないので写メをデジカメで撮り、ようやく日の目を見た次第です。

屋根の上の草をワサワサ揺らしながら、フツーに走っていたそうです。





タグ :究極のエコカー
2012年02月25日
冬の日のダイヤモンド
昔、東京で暮らしていた頃のことです。
私は東京の冬が嫌いではありません。
沖縄と違って晴れる日が多いからです。
ある冬の朝、その頃住んでいたアパートの二階の窓を開け、
窓辺に腕を置いてあごを乗せ、昇ったばかりの朝日を見ていました。
まぶしさに目を細めると、ほぼ水平に太陽の光が虹の七色に輝きながら射してきます。
光の先を追ってくると虹色の光線がどんどんのびて、
私の目元まで途切れることなく一直線に飛び込んできます。
そして下まぶたの縁でクラッシュして、
虹色の数十個ものダイヤモンドとなって砕け散ったのです。
それは、日曜の朝に起きた小さな奇跡でした。
別の朝、私鉄沿線の人もまばらな屋根もない小さなプラットホームでのこと。
線路の囲いの鉄線の上で、夕べの雪が朝の光に溶け、
白いダイヤモンドの粒となって強く輝いていたことがありました。
その光の粒は、私にはどんな本物のダイヤよりも美しく見えました。
朝の澄み切って張りつめた冬の空気の中で、
冷たく清らかな光を放っていたその宝石(いし)を、
私はそっと心の宝石箱にしまいました。
実際にはバロック真珠以上のたいした宝石は何も持っていなくても、
私の心の宝箱にはこんな素敵な宝石たちがいくつも入っているのです。
私は東京の冬が嫌いではありません。
沖縄と違って晴れる日が多いからです。
ある冬の朝、その頃住んでいたアパートの二階の窓を開け、
窓辺に腕を置いてあごを乗せ、昇ったばかりの朝日を見ていました。
まぶしさに目を細めると、ほぼ水平に太陽の光が虹の七色に輝きながら射してきます。
光の先を追ってくると虹色の光線がどんどんのびて、
私の目元まで途切れることなく一直線に飛び込んできます。
そして下まぶたの縁でクラッシュして、
虹色の数十個ものダイヤモンドとなって砕け散ったのです。
それは、日曜の朝に起きた小さな奇跡でした。
別の朝、私鉄沿線の人もまばらな屋根もない小さなプラットホームでのこと。
線路の囲いの鉄線の上で、夕べの雪が朝の光に溶け、
白いダイヤモンドの粒となって強く輝いていたことがありました。
その光の粒は、私にはどんな本物のダイヤよりも美しく見えました。
朝の澄み切って張りつめた冬の空気の中で、
冷たく清らかな光を放っていたその宝石(いし)を、
私はそっと心の宝石箱にしまいました。
実際にはバロック真珠以上のたいした宝石は何も持っていなくても、
私の心の宝箱にはこんな素敵な宝石たちがいくつも入っているのです。
タグ :太陽光線の虹
2012年02月19日
滝と岩
すみません、今回は虹とはまったく関係のないお話ですが、
とても大切なことなので忘れないように書いておきます。
先日、ある病院でのこと。
そこはとても大きな病院で、吹き抜けの広いホールがあり、
全面ガラス張りの向こうには人工の巨大な滝が池に流れ落ち、
池のまわりは大きな岩で囲まれています。
久しぶりのお天気です。
ホールの中にも温かな日差しが降り注いでいます。
待ち時間を潰すべく、その庭に時々目をやりながら、
私はホールの一角で書き物をしていました。
すぐ近くのテーブルから、90歳くらいの車椅子に座ったおばあさんと、
娘か嫁とおぼしき付き添いの人との会話が聞こえてきました。
おばあさんは滝を見ながら方言で、
「アレー、潮ヤアラニ(あれは潮ではないか)?」 とたずねます。
「いいえ、あれは滝ですよ」
今度は岩を指差して、「アリヤ車ヤアラニ(あれは車ではないのか)?」
「いいえ、あれは石ですよ」
そう言われてもおばあさんは、再び同じことをたずねます。
二人が立ち去る30分ほどの間に、この会話は10回くらいは繰り返されたと思います。
帰宅した後も、私はあのおばあさんの言葉が何となく気にかかっていました。
年寄りだから目が悪いとしても、
なぜおばあさんには滝が海の水に、岩が車に見えたのだろう?
人間、それほど突飛な発想はしないものです。
彼女の頭の中で何か連想させるイメージがあったに違いないはずです。
それは一体なんだったんだろう・・・・。
その時ふと、数日前に会った友人の話を思い出しました。
彼女は、ボケて妄想と幻聴や幻視の出てきた義母の介護で大忙しなのですが、
80過ぎの義母のボケの始まったきっかけというのが、
1年前、大きな台風が来たときの不安感だったというのです。
1年前の台風ーー自然災害ーー大地震ーー津波ーー流される車・・・・・。 これだ!
きっとあのおばあさんは、あの衝撃的な映像をTVで何十回も見ていたに違いありません。
孤独な老人の部屋のつけっ放しになったTVから、
何度も繰り返し繰り返し流れるあの映像・・・・・。
そんな光景が私の脳裏に浮かびました。
あの大震災以来、誰もがいまだに不安感を心の底に抱えながら日常を生きています。
非力なお年寄りが、
私たち以上に強い恐怖や不安感を覚えたであろうことは、容易に想像できます。
このできごとは、老人のボケというのが
単なる年令のせいだけではないということを私に教えてくれました。
友人の義母は、この頃はすっかり幻視や幻聴が収まって、
元気を取り戻しているそうです。
それには、家族が交替で頻繁に訪ねて世話をしたのが功を奏したとのことです。
器質的な問題がなければ、不安や孤独感を取り除いてあげることで、
ボケって直るものなんですね。
もしあなたの身近にこの頃急にボケてきたお年寄りがいたら、
この話をちょっと思い出してみてください。
タグ :老人の痴呆と大震災
2012年01月17日
虹の架け橋
数年前母が亡くなった後、初めて母方の家系図を見ました。
母の実家に伝わるものを、従兄弟が持ってきてくれたのです。
法事の最中だったので、外にコピーをとりに行くことができず、急いで書き写しました。
後でそれを見ながら、家にあった古い家族写真と照らし合わせて、
これが曾お祖父さん、曾曾お祖母さん、とわかるようになりました。
父も母も亡くなり、二枚の家系図を見ていると、自分の生命というものが、
連綿とたくさんの人の生命を繋げてここにあるのだということが、よく解ってきます。
(そしてこれからいつか私の名前もここに書かれ、生没年が( )の中に記され、
自分が遠いご先祖様になっていくのだということも・・・・。)
けれど、たとえ名前や写真が残っていても、残念ながら会ったこともないご先祖様は、
私にとって単なる記号のようなものでしかありません。
その人が何を想い、どんな感性を持って生きていたのか、
いったいどんな人間だったのか、全く想像することすらできないのです。
私は、その人たちが何を大切にし、どんな憧れを持ち、
どんな魂を持って生きていたのか、そんなことが知りたいのです。
これは視点を変えれば、あと百年もしないうちに私は記号となり、
その頃の曾孫たちには、私が何を思い何を求めて生きていたかを知る手がかりすら、
まったく残っていないだろうということです。
ですが、最近やっとパソコンを操れるようになったある日、ハタと気がつきました。
そうだ、ブログだ。ブログという手があるじゃない。
ブログに自分の思いのままを書き綴っていけばいい。
お墓も財産も残さない私が残す、これが唯一のものと遺言することにしよう。
そうすればいつかこの小さなチップが、世代を越え、時間を飛び越えて、
同じDNAを共有する者たちに、私の魂を伝えることができるかもしれない・・・・。
かくて私はブログを書き始めることにしました。
まだ見ぬ子孫たちとの間に、虹の架け橋を架けてみようと思うのです。

To my grandchidren
私をご先祖様とよぶあなた、
私は時の彼方から、あなたに宛ててこの手紙を書いています。
あなたの中にあるDNAを通して、
私はあなたへの愛を永遠にささやき続けます。
どんなつらい時にでも、あなたは一人ではありません。
私がいたから、あなたは今ここにいます。
あなたの生命の始まりから、そしてそれが終わる時まで、
私はあなたの中にいて、あなたを見守っています。
ところで、ここで一つ問題を出します。
あなたのご先祖たちをさかのぼり、この無限に続く生命の鎖を、
どこまでもどこまでも手繰っていってみて下さい。
サルを越え、単細胞を越え、進化の過程をさらに逆走し、
さらにさらにすべての始まりまでさかのぼったとき・・・・、
最後の鎖の輪の先に、あなたは何を見出すでしょうか?
これは我々ご先祖様からあなたへの、究極のエクササイズです。
どうかその答えが、あなたを至福へと導くものでありますように・・・・。
much love
from your grandmother
p.s この日記を読んでいて、もしもあなたが自分の血の中に、
私と同質のものを感じることがあるとしたならば、
それは私にとって望外の喜びです。

ここまで書いていて気が付きました。
自分の血の中に先祖を、さらにさかのぼって神を感じ取ること、
それが祖先崇拝の根源的意味なのだと。
宗教とは、宗(もともとのもの)に帰る教えのこと・・・、確かそうですよね?
神の、存在への愛と意思がその始まりにあったということ、
それを悟ったとき、私たちは永遠の至福と、安心立命を見出すのではないでしょうか。
(アッ、答え書いちゃった。ここは後で編集しなおさねば・・・)
父よ、母よ、限りなく続く私の過去に連なる生命たちよ、
あなたたちに限りない感謝を捧げます。
Posted by tamisan at
09:22
│Comments(0)
2011年12月18日
私の中のレインボー・チェイサー② 植物 西岡直樹
その昔、70年代安保やベトナム戦争反対をスローガンに、
反体制を戦った学生運動が終焉を迎えた後のこと、
フラワー・チルドレンからヒッピー・ムーブメントへとその平和運動は姿を変えていきました。
そして多くの若者が世界的なムーブメントの波に乗って、
精神世界を求めインドへとさすらっていきました。
ちょうどその頃、西岡さんもインドを旅していました。
ただ彼は放浪者としてインドを訪れたわけではなく、
ベンガルやカルカッタの大学にベンガル語を学ぶ学生として滞在していたのです。
そこで彼はインドの植物の調査や、植物にまつわる民話などの収集に明け暮れます。
(もっとも、見た目と暮らしぶりはヒッピーと大差なっかたろうと思われますが・・・。)
その旅の成果として彼が書き上げたのが、「インド花綴り」(副題 印度植物誌)です。
この本は、彼がインドの人々との日々の暮らしや交流を通して得た
さまざまな植物にまつわるお話が、
彼の直筆になる美しくも正確な植物図と共におさめられています。
同じ頃インドを旅した者として、私は一種懐かしい思いでこの本を読みました。
彼の本を読んでいると、
頭の中に手を突っ込まれて脳みそを柔らかくマッサージされているような快感を覚えます。
繊細でおしゃれなセンスを売りにした昨今の癒しブーム。
それは白く細い美しい手をしています。
でも西岡さんの手は(実物を見たことはありませんが)、
庭師のように日に焼けて少々無骨で、
爪のあいだには葉っぱと土の香りがしみついています。
けれどその手には、私は安心して頭の缶のふたをパッカと取り外し、
自分の脳みそを進んで委ねることができるのです。
そういう意味でこの本はとても稀有な本だと思います。
(かたや宮澤賢治の手は、私の心の臓に同じ作用を及ぼします。
西岡さんは、たぶん賢治と同じ手をしていると思います。)
あのインドでの日々、私は最初から最後まで異邦人のままでした。
けれど西岡さんは、たまたま異国で生まれたイトコのような顔をして、
インドの人々と一緒に暮らしているのです。
それは私から見れば一種の才能だとしか思えないのですが、
西岡さんにしてみればそれが彼の自然体であり、持って生まれ持った優しさなのでしょう。
こういう人の前では、どんな人間もたちまち武装解除されてしまうのではないでしょうか。
この本を出した後、彼はベンガル語の辞書を作るため、
印刷用のベンガル語の植字作りに挑んでいると聞きました。
おびただしい数の植字を一つ一つ手彫りしていこうというのですから、
普通そこまでやるか!と思うのですが、そこが彼のレインボー・チェイサーたるところ。
きっと労多いこの偉業を、愛をもってコツコツとやり遂げていくことでしょう。
「インド花綴り」には、インドの神様の話もいっぱいでけっこう面白いですが、
沖縄と同じ植物がたくさん出てくるのも興味深いです。
誰かに脳みそをモミモミしてもらいたくなったときは、是非この本を読んでみて下さい。
愛猫の肉球に勝ること、保証します。
★インド花綴り 西岡直樹 木犀社
2011年12月11日
虹の夢判断
以前の10月30日に”虹のヘビの夢"を見た話を書きましたが、
その後気になって、夢判断ではどう解釈するのかネットで調べてみました。
エドガー・ケイシー流の夢研究家の坂内慶子さんによると、虹の夢は
『あなたの努力は適切に報われるでしょう。あとは後始末が待っているだけ。
~中略~ 虹は物質的な完成を意味する。』
『この文脈に入らない場合は、幻想の世界に生きていて、
生きている実感が持ちがたい生活が続いている。
仮想世界から抜ける努力を。』
とあります。
私の見た夢は、ポジティブな前者の方なのか、ネガティブな後者の方なのか?
英語でrainbow chaiser (レインボー・チェイサー)というと、夢ばかり追いかけていて、
地に足の着いてない人を意味する(ここでウチアタイする私)そうですし、
その後特に報われた覚えもないので、、もしかしたら後者の方かなー。
でも、一般にヘビの夢を見るとお金が入ってくるといいますし、
夢を追い続ける象徴である虹がヘビに変わるということは、
夢を追い続けた努力の結果、金運が開ける、という解釈も成り立ちそうです。
ウ~ン、私としてはこっちの方がいいな~。
でも、相変わらず赤貧洗うがごとき日々だし、努力するのも息切れしてきて、
もうこの頃はヤケノヤンパチ開き直って、すべてを神様にお任せすることにして、
ケ・セラ・セラで気楽にいきている今日この頃・・・。
ア~ア、ちっとも当たっていないじゃない。
と、ここで聞こえてくるハイアーセルフの声・・・・。
(マアマア、そんなヤケにならないで。もっと冷静に考えてみましょうヨ。)
そこで、もう一度坂内さんの夢辞典でヘビの項目をチェックしてみると、
『ヘビは、
身体の七つのエネルギーセンターを脊柱に添って駆け登るクンダリーニを指す。』
とあり、ヘビはエネルギーそのものを表しているとのこと、。
私の見た夢を詳細に分析してみると、円形のいくつもの虹が繋がるということは、
追い続けてきた夢たちが完全な形で統合され、現実的な完成をみると解釈できます。
虹の上下半分づつが互い違いに消えて繋がり、巨大なヘビに変わっていくのは、
それが大きなエネルギーへと変化していくことを表していると思われます。
そして、子供の私(小さな女の子)と大人の私が、
手を繋いで大地の上に立ってそれを見ているということは、
私自身の地に足をつけた低自我から高自我への成長を示している、と考えられます。
まとめてみますと、
”今までの努力がすべて報われ、すべての夢が一つになって完成し現実化する。
そしてそれは、大きなエネルギーへと変化していく。
この夢は私に、高い自我へと地に足を着けて成長することを促している。”
ん~、ワンダフル!
どうです、見事につながったじゃありませんか。
絶対こっちの方がいいですね!
三年半も前に見た夢ですが、この夢を、長いスパンでの予言だとポジティブに考えて、
これからの日々を生きていくことにいたしましょう。
★検索キーワード; 坂内慶子のドリームセラピー
2011年12月06日
完全形の虹
私がブログに虹のことを書いていると友人に話したところ、
彼女は自分の見た虹のことを話してくれました。
ほとんどの人が虹というとき思い浮かべるのは、
半円形をした七色のアーチではないでしょうか。
でも、彼女が見た虹・・・・それは円形をしていたと言うのです。
飛行機で空の上から海を見下ろしたとき、
雲も何もない青い海の上に輪っかになった虹が浮かんでいたというのです。
ニュートン10月号に載った虹の写真の中に、
上空から撮ったジャングルの上に浮かぶ円形の虹を見た時、
私はとっさに彼女の見た虹のことを思い出しました。
イヤー驚きました。本当にこんな虹が出現することがあるんですね。
しかも驚くべきことにその記事によると、
虹はそもそも円形をしているものだというのです。
ただほとんどの場合、地面などにさえぎられて上半分しか見えないのだそうな。
『上空や崖の上など、地面が邪魔をしない場所では、円形に見えることがある。』とのこと。
そういえば8月8日に書いた”虹のアーチをくぐれ!天井編”のときも、
私に見えていたのは右半分だけでしたが、コックピットからは円形に見えていたはずです。
しかもニュートンの写真には、
主虹の輪の周りを薄く副虹が取り囲んでいるのが写っています。
解説によると、主虹と副虹の二重の輪になったのが虹の本来の姿なのだそうです。
待てよ、そういえば私が夢で見た虹も二重の虹がきれいな輪になっていました。
私は夢で虹の完全形を見ていたことになります。
でもあれは三年半も前のことです。
それまで全く見たことも聞いたこともなかった完全な虹の姿を、
私はどうして夢で見ることができたのでしょう。
何だかとても不思議です・・・・。
タグ :輪状の虹
2011年12月01日
レインボー・チェイサー① 幸地学 後編
先日の日曜日、久しぶりに幸地学の作品展を見に行きました。
SWMインテリジェンスセンター・・・。初めて聞く会場の名前です。
地図も大ざっぱで何度も同じ所をぐるぐる回ったあげく、
住所を頼りに何とかたどり着くことができました。
浦添市城間58号線の裏通りのスージグヮァーを入ると、
民家のど真ん中に、思わず目をむくほどセンスの悪いラブホテルが出現したかと思うと、
昭和30年代にタイムスリップしたような古びた家並みが立ち現れ、
本当にこんな所に絵画展の会場があるんだろうかと不安になりながらも先に進みました。
すると、これまた場違いなほど新しくかっこいい、
近未来的でありながら西洋の古い建築を思わせるような、
不思議な建物が右手に見えてきました。
何だか時間や空間の感覚が錯綜してきて軽い眩暈さえ覚えます。
どうやらここがギャラリーのようです。
中に入ると、2階がメイン会場のようでしたが、1階は天井の高い広々とした薄暗い空間で、
何の装飾もないむき出しのコンクリートの壁面に、
大きな絵が一点づつ、ぽつんぽつんと掛けられてありました。
部屋の中にあるのは、角を取った三角形のような変わった形の大きなテーブルと、
それを囲む9脚の黒い椅子だけ・・・・。
がらんとした薄明の中にそこだけスポットライトを浴びて、
幸地学の絵がぼおーっと浮かび上がっています。
ここまでの迷い道で疲れていた私は、椅子に座って休むことにしました。
誰もいないそのスペースにぽつんと一人身を委ねていると、
自分が日常から切り離された異質な空間に突如放り込まれたような、
不思議な気分になりました。
隣の部屋をガラス越しにそっと覗いてみると、
医療用なのか正体不明の機械がびっしりと立ち並んでいます。
どうやらここは本来はギャラリーではなさそうです。
普段は何かの会社だろうと思うのですが、
10日間も展示会のためにこんなに広いスペースを提供するなんて,
いったいどういう組織なのでしょう。
倉庫にしてはおしゃれすぎるし、表扉の名前からもさっぱり見当がつきません。
ほかに手がかりを示すものは何もなく、すべてが謎のままです。
今回は会場の空間演出にも、幸地さんはだいぶ力を入れられたと聞きます。
もしかしたら、”幸地学展”と貼り紙されたあのスージグヮァーの入り口あたりから、
それは配意されていたのでしょうか?
迷い、驚き、困惑、デジャ・ヴ、混乱などから一転して静謐な空間へ。
猥雑な俗世から美のサンクチュアリへ。
現世の濁った光から、清らかな薄明の世界へ・・・・。
短い距離の間に何とさまざまなトリップをしてきたことでしょう。
思い返してみると、道に迷い始めたあたりから、
私は彼の演出空間という大きな作品の中にいたような気がします。
今でも私の心の暗がりには、あのひっそりとしたシュールな空間に、
幸地学の絵がぽっかり明かりを灯して佇んでいます・・・・。
追記: 会場で幸地氏を見かけたとき、誰かに似ていると思ったのですが、
最近ユーチューブでマスター・キートンを見ていて思い出しました。
彼は何と私の大好きなタイチ・キートンに似ていたのです。
これは私にとって嬉しい発見でした。
マスター・キートンの原作者である葛鹿北星も、私の中のレインボー・チェイサーなのです。
葛鹿北星については、また日をあらためて書いてみたいと思います。
2011年11月29日
私の中のレインボー・チェイサー① 画家・幸地学 前編
レインボー・チェイサー・・・・ 虹追い人。
英語では、どこまで行っても捕まえられない虹を追いかける人、
の意から転じて、夢ばかり追いかけて現実から遊離した地に足の着かない人、
という意味に使われるようです。
けれど私は素直に、夢を追い続ける人と解釈しています。
私の中のレインボー・チェイサーとは、南総里見八犬伝の如く、
我が敬愛してやまない宮澤賢治の魂を宿して、
戦後の日本列島各地に生まれてきた人達のことをいいます。
もちろん私だけの独断と偏愛で決めたものです。
一人目はすでに書いた「アタゴオル物語」の、ますむらひろしです。
二人目には沖縄出身の画家、幸地学のことを書いてみたいと思います。
彼のことは、1996年に米国グラミー賞公式アーティストに選ばれ、
そのポスターやチケットを手がけた画家として、ご存知の方もおられると思います。
私が彼の作品を初めて見たのは、20年くらい前、牧志の三越で開かれた彼の個展でした。
そこで、私はとても奇妙な体験をしました。
ある作品の前で、私はあやうく踊り出しそうになったのです。
絵から、音楽が聞こえてくるのです!
アフリカ音楽でもない、沖縄音楽でもない、
二つの間にあるような不思議な音とリズムが、私の身体を勝手に衝き動かすのです!
このような体験は生まれて初めてでした。
会場の人目をはばかって、私は自分の身体が動き出さないよう、
必死で我が身をかき抱いたまま、その絵の前に立ち尽くしていました。
その何年か後、彼が描いたグラミー賞のポスターの絵を見る機会がありました。
その絵は、描かれたモチーフのエッジから、不思議な光が放たれていました。
細かくさざ波のように震える、光の波動が見えるのです。
描かれてもいないものが見える?
まさかそんな、と思って目をこらしても、やっぱり見えるのです!
色々な絵をこれまで見てきましたが、こんなことは初めてです。
こんなのが意図的に描けるとは思えません。
幸地学はやっぱり天才だ!、と確信しました。
聞くところによると、人間には元来、共感覚(通常の感覚と同時に、
異なる種類の知覚を感じる特殊能力)というのが備わっているそうで、
人によっては文字に色が見えたり、音に色が着いて見えたりすることがあるそうです。
共感覚は、まだまだ解明されていない分野のようですので、
私の経験したような、色が音に聞こえるといったこともあるかもしれません。
彼の絵には、私の中に眠るそういう類の能力に働きかける力があるようです。
描いた本人はこういうことを分っているのでしょうか?
一度、訊いてみたい気がします。
2011年11月26日
アコークローの野外音楽会
今回は、虹のこととは全然関係ないのですが、
とても素敵なことがあったので、是非書いておきたくて筆をとりました。
昨日の夕方、新都心の公園を通りかかった時、
一人でチェロを演奏している人がいました。
私はチェロの演奏を生で見るのは初めてでしたが、
その素敵な音色に惹かれて、思わず足を止めました。
黄昏の公園のアコークローの木の下、石のイスに腰を落ち着け、
その演奏に耳を傾ける事にしました。
公園には色々な人が通り過ぎて行きます。
ウォーキングやジョギングをする人、犬を散歩させる人、自転車に乗った人。
けれど、みんなそれぞれ忙しそうで、
演奏に気をそらされることもなく、、次々と通り過ぎて行くのです。
私はたった一人、アコークローの葉をざわめかせながら吹いてゆく秋の風と、
芝生の上を流れるチェロの音に、静かに耳を澄ませておりました。
私は音楽のことはよく知らないのですが、初めて身近で聴くチェロの音は、
ヴァイオリンの高い心を震わせるような響きと違って、
低く広く、深く豊かに、私の心を包み込んでいきました。
それは、私一人のための野外音楽会のようでした。
ああ、何て贅沢な時を私は過ごしているのだろう、と思いながら、
しばし至福のときを満喫していました。
そろそろ夜風が身にしみてきたので、
後ろ髪引かれる思いでその場を立ち去ったのですが、
風に乗ってチェロの音がとぎれとぎれに、かすかになりながら聞こえていました。
帰り道、たまたま道を歩いていて美しい虹に出会ったときのように、
私の心は幸せで一杯でした。
今度は、温かいチャイをポットに入れ、
厚手のショールを用意して出かけてみようと思います。
タグ :那覇新都心公園のチェロ演奏
2011年11月23日
空の上のブロッケン現象
ひと頃、仕事で毎月那覇と石垣を往復していました。
私の空の旅の楽しみは、雲ウォッチングです。
地上から見る雲とはまた違った姿かたちがあって、
毎回窓際に張り付いて、わくわくしながら眺めていたものです。
行きはいつも朝1便で、八重山の島影が見える右側の、
翼にかからない席を取るようにしていました。
ある日、窓から右斜め下に、雲をスクリーンにして薄い虹の環ができていて、
真ん中に飛行機の形をしたものが見えました。
それは、そのままの形で飛行機の横をずっとついて来ます。
いったいあれは何なのだろう、と首をひねったものです。
何回か見ているうちに、真ん中の飛行機の形をしたものは、
朝の光に照らされた機体の影だと気が付きました。
それにしても、周りの虹の輪っかはどういう現象なのか、ずっと謎でした。
ところで、ブロッケン現象という言葉を聞いたことはありませんか?
山で遭難した人が、命の瀬戸際でキリストを見た、
とかいうエピソードと共に語られることが多い言葉ですが、
実はこれ、奇跡や臨死体験などではなく、自然現象の見せる幻影なのです。
遭難者が見ているのは、実は霧に映った自分の影だったのです。
この場合、背後から射す太陽の光が、
前方にある霧にぶつかって広がり、虹色の光の輪ができます。
その中に自分の影が投影され、まるで光り輝く神の姿が現れたように見えるわけです。
ドイツのブロッケン山でよく見られたので、その名がついたそうです。
もっとも、ドイツの人の目にはそれが神ではなくモノノケのように写ったようで
”ブロッケンの妖怪”と呼ばれています。
私が空の上で見たものは、光輪(こうりん)とよばれるもので、
ブロッケン現象が雲の上で起こったものだったのです。
太陽の光が雲や霧に反射してできた虹の中に、
間に入った飛行機の影が映っていたわけです。
簡単な図にすると、こんなかんじです。

太 → 飛 ロ 光 ← 雲
陽 → 行 ッ ← や
の → 機 ケ 輪 ← 霧
光 ン ※矢印は光の方向
けれど山での遭難で一番怖いのは、
方向を見失って同じ所をぐるぐる回って道に迷うことだといいます。
ブロッケン現象の場合、光を背に受けて幻影ができるわけですし、
山で見るブロッケン現象は、山頂からふもとに向かってできることが多いそうですから、
それを追って行けば一定の方向に進むことができるので、
結果、生還することにつながるのではないでしょうか。
たとえイリュージョンであったにせよ、
遭難者にとってその幻は、救いの神だったということになります。
もし私が山で遭難して、神や仏に出会ったら、迷わずついて行くことにいたしましょう。
ただし、崖から落ちないように気をつけながら・・・・。
飛行機の光輪を見る方法
○ 時=太陽光が斜めに射す時間帯(夜はもちろん、真昼も×)
○ 場所=進行方向に対し、太陽と反対側の窓際の座席で、翼やエンジンのない所
○ 気象=雲がある程度近くにあり、なおかつ太陽の光が射している
※以上の条件を満たしていれば、斜め下にかなりの確率で見ることができると思います。
あとはひたすら目をこらして、窓に張りついていることです。

2011年11月18日
虹の身体
チベットには、古より伝わる”ゾクチェン”という摩訶不思議な修行があるそうな。
それをマスターすると、『虹の身体』を得ることができると言われています。
虹の身体・・・、何とマジカルな響きをもった言葉でしょう。
今日は、その虹の身体にまつわるお話を書いてみたいと思います。
1939年生まれのチベットの転生活仏、ナポリ大学名誉教授でもある、ナムカイ・ノルブの著
「ゾクチェンの教え」の中に、彼の叔父トクテンの目撃談が紹介されています。
1952年、叔父の知っているある老人が、自分はこれから一週間以内に死ぬから、
七日間自分をテントに閉じ込めておいてくれ、と近親者に告げました。
これはある意味、爆弾発言です。
チベット人の常識では、これは老人が
「私は、これから虹の身体を成就してお目にかけます。どうか皆さん、ご照覧あれ。」、
と世間に堂々と宣言したようなものなのです。
叔父をはじめ、周囲の人間は、その老人がそんなことのできるすごい行者だったとは
夢にも思ってみなかったものですから、みんなビックリ仰天。
八日目になると、大勢の人々がそれを見るため集まって来ました。
中国の役人も、今度こそ、チベット人の迷信を暴いてみせようと、
手ぐすね引いて待ち構えておりました。
・・・・いよいよテントが開けられたとき、
そこにあったのは、老人の髪と爪と着ていた衣服だけでした・・・・。
老人は、みごと虚空にかき消えたのです。
これはどういうことかと言いますと、ナムカイ・ノルブはこう書いています。
『肉体的な死を経過することなしに、身体がふつうの生き物の目から見えなくなり、
さまざまな元素の光輝くエッセンスに変容し、あるいは吸収される。』
わかりやすく言いますと、瞑想によって肉体細胞のバイブレーションを上げることにより、
生きたまま透明な身体に変容してしまう、ということではないかと思います。
(何ともはや、スゴイことができるものですね。)
彼の存在は消えてしまったわけではなく、修行を積んだ特別な人間には見えることもあり、
コミニュケーションもとれるようです。
おそらくこのとき老人の姿は、七色に光り輝く虹の身体となって見えているのでしょう。
でも一般の凡人にとっては、彼が透明人間になってしまったとしか思われません。
テントの周りで驚愕する人々を尻目に、かの老人は呵呵大笑していたに違いありません。
遠い昔のお話ならともかく、この現代において、
しかも修行を積んだラマ僧でもない石工の無名の老人が、人知れず悟りを開き、
ある日突然こんなことをやらかすのですから、チベット仏教恐るべしです。
(ちなみに、老人が虹の身体を成就したとき、自分は何年も彼を知っていたのに、
全く気付けなかったと嘆いたノルブの叔父も、近年虹の身体の悟りを開いたそうです。)
けれど、こういうチベット仏教の精華が世界に知れ渡るようになったのが、
中国のチベット侵攻により、難民となって世界に散って行った、
ラマ僧たちによってであることは、歴史の皮肉といえるでしょう。
一日も早く、チベットの人々が祖国を取り戻し、平和に暮らせるよう祈ります。
★「ゾクチェンの教え」 ナムカイ・ノルブ 地湧社
2011年11月13日
絶食ベティーちゃんの経過報告
やっと2週間がたちました。
ベティーちゃん、よく頑張ってくれました。

でも下腹部はゲッソリなのに、上腹部はまだポニョ状態です。
今日1日餌をあげて、再び2週間の絶食と塩&ココア浴に挑まねばなりません。
頑張れ、ベティーちゃん!
タグ :ココア浴3週間目に突入!
2011年11月12日
幻の絵本
この頃は3Dばやりです。
映画アバターを見た時は、文字通り後ろにのけぞってしまったものです。
半年くらい前、那覇の書店でユニークな虹の絵本を見ました。
ページをパラパラとめくると、アラ不思議!
開かれたページの上に、立体的な虹が立ち現れてくるのです。
仕掛け絵本のように、紙でできているのではありません。
半透明な虹が、幻のように本の上の空間に架かっているのです。
文章もストーリーも何もなく、ただ虹だけが魔法のように出現するのです。
どういう仕掛けになっているのかと、一枚一枚ページを繰ってみると、
最初から最後まで、同じ虹が同じ場所に描かれているばかりです。
子供の頃に見たパラパラ漫画は、少しづつ変化をつけて描かれた絵が、
目の錯覚によってつながり、動いているように見えてくるものです。
が、この絵本は同じ絵を何十枚も重ねることで、
虹の静止画像が立体的に浮き上がる、という仕組みになっているのです。
それが判ったときは、思わずウ~ンと唸ってしまいました。
逆転の発想というところですが、これを思いついた人はスゴイと思いません?
でももしかしたら自分でも作れるかな、とその時は思って、買わずに帰りました。
後日思い直して買いに行くと、もうなくなっていました。
メモした紙をなくしてしまい、インターネットで探しても見つかりません。
誰かご存知でしたら教えてください。
もう一度、あの魔法の虹が見たいです・・・・。
タグ :虹の3D絵本
2011年11月06日
ベティちゃんはマリア様?
★緊急告知★
今、本物のベティちゃんに、異変が起きています。
最近お腹がどんどんどんどん大きくなってきて、前から見ると完全な円形です。
前は流線型のすらりとしたボディラインをしてたのに、
横から見ると今や直角三角形。
もしかして、オメデタ?
メイクマンのペットコーナーで売られていた時からずっと、
ベティちゃんは孤独な修道女のように生きてきたのに、処女懐胎とは・・・・。
ベティちゃんはマリア様か、なんて冗談を言ってるノンキな母を尻目に、
息子はきっちりインターネットで、その原因と対策を見つけてきました。(エライ!)
実はベティちゃん、お腹に水のたまる病気にかかっていたのです。ガーン!

原因は、老化と水の汚れ。
ベタの寿命は3年と結構短かいようで、飼ってまだ半年だけど、
ベティちゃん意外とトシなのかも・・・(彼女の正確な年齢は不明です)。
水は毎週かえてたけど、容器に入れた砂が古いやつで、
少し臭っていたから洗って天日干ししといたけどやっぱりダメダッタノカナ、
ベタ用の餌がなくなったので、百均のグッピー用のをあげてたから体力が落ちたのかな、
と反省する点は多々あります。
このまま放っておくと死んじゃうとのこと。
治療方法は、絶食と塩&ココア浴。
ココア浴なんて初耳ですが、純粋なココアでなければいけないと息子が言うので、
”モンドセレクション3年連続金賞受賞”と書かれたピュアなココアを見つけて来ました。
(今まで買った事もない高級ココア。口開けは一生懸命調べてくれた息子に、
まずは一杯ホットココア。
続いて私・・・・。
ウ~ン、結構なお味でした。)
薬効を高めるため、小さなガラス容器に天然塩とココアを一つまみづつ溶かし込み、
ベティちゃんをお引越し。
2週間絶食させている間、徐々に塩とココアの濃度を上げていくとのこと。
目下1週間目。気のせいかお腹が小さくなってきたような・・・。
少なくとも、ひと頃パンパンで見るほうも息が詰まるくらいだったのが、
改善してきた感じがします。(単にひもじくて痩せただけかもしれませんが。)
今でも私の姿を見ると、胸びれを必死にパタパタ動かしながら、
お腹がすいたと慕い寄って来るのが、ケナゲで哀れです。
2週間も食事をさせないなんて、耐えられるかどうかわかりませんが、
心を鬼にして頑張ろう!(息子にしてみれば、2週間たっても私が餌やりを忘れて、
餓死させる方がもっと心配でしょうが・・・・。)
ベティちゃん、頑張れ!!専用高級フードも買って来たよ。

<ココア浴中のベティーちゃん> 2011,11,4 photp by ベティー
2011年11月03日
夏の思い出
夏のある夕方のことです。
私は新都心のはずれの、とある公園でお弁当を食べていました。
夏休みなのでしょう。
数人の小学生の男の子たちが、水飲み場の蛇口を押さえ、
噴水のように水をさかんに噴き上げさせて遊んでいました。
歓声を上げて噴水の下に飛び込んだりして、みんなもうビショビショです。
おりしも、省エネやもったいないが声高に叫ばれているご時勢、
ま、ここは大人として一言注意せねばと思い、近寄って行きました。
見ると、少年たちは西日を背に受け、虹を作ってはしゃいでいるのでした。
何だかとても懐かしく嬉しくなって、
気がつけば私は、一緒になってかわいい虹を見て笑っていたのです。
子供たちが去った後・・・・、
緑の小さな公園では、ぬれた散歩道や青草の上を、
涼しい風が吹いていました。
(あのとき・・・・、ホントは私もちょっとやってみたかったのです。)
タグ :虹を作る少年
2011年10月30日
虹のヘビの夢
私は、手漉きの紙でできた小さな手帳を持っています。
それには、特に心に強く残った体験やインスピレーション、見た夢などが書きとめてあります。
昨日、何となく開いて読んでいたら、
すっかり忘れていた夢の話がイラストつきで出てきました。
『 2009.5.6 虹の蛇の夢
最初、円形で二重になった虹が、いくつも横につながって空に浮かんでいた。
しばらくすると、互い違いに上半分と下半分が消えてつながり、
まるで蛇のうねるような形になった。
私は、5,6歳の小さな女の子と一緒にそれを見ていた。』
・・・・これだけです。コメントも何もありません。
いったいこの夢は何を示しているのでしょうか?
ところで、虹と蛇って深いつながりがあるような気がして、インターネットで検索してみると、
出ました!
虹蛇(にじへび、こうだ)という言葉が実際にあるのですね。
北アメリカや中国、アフリカ、オーストラリアのアボリジニなど、
世界の広範囲にわたって虹蛇の伝説があるようです。
アボリジニに伝わるレインボー・サーペント(虹の大蛇)の伝説によると、
それは創造や天候を司る偉大な虹の精霊であり、世界の始まりの頃、
レインボー・サーペントが地を這った跡が河になり、
とぐろを巻いて休んだところが湖になったのだそうです。
また、中国の漢字の虹は虫偏と工からなっていますが、
工は天地をつなぐ形を表し、虫は竜の眷属の意で、
即ち、天と地をつなぐ巨大なヘビが虹だというわけです。
虹蛇は竜の仲間ですから、当然、竜神→雨とイメージはつながってくるのです。
世界のかけ離れた地域で、虹が同じように認識されていたなんて、何だか不思議ですね。
ユングのアーキタイプ(原型)のように、人類には形象に関しても、
私の見た夢も、もしかしたら虹のアーキタイプとしての虹蛇だったのかもしれません。
それにしても、虹を大空に現れる七色に輝く美しい巨大なヘビである、
と考えていた古代の人々は、何と豊かな想像力を持っていたのでしょう。
いえいえ、大昔にはシャーマニックな感性を持った人たちがたくさんいて、
本当にそんな生き物が空に見えていたのかもしれません。
現代の私たちは、物質文明と引き換えに、
そういった世界を失ってしまったようですが・・・・。